3月11日3時頃、私は社員食堂(3階)で取引先様と打ち合わせをしていた。
その時今回の地震を喰らったので時系列で書いてみる。
10秒ほど大き目のゆれを感じ、天井に吊り下げられている液晶モニターが落ちないか?などと笑っていたら本当に落ちそうな震度となる。
慌ててテーブル下に皆で潜り込む。
あたりを見渡すと鉄骨の柱と壁材が目視で隙間が開いたり閉じたりしているのが見えた。
がががーん!という物音と共に天井の石膏ボード?が落ちてきた。
一枚や2枚ではない。1000人規模で入れる食堂の天井全部だ。
ユサユサ動くテーブルの足にしがみつき、外に放り出されるのを防ぐ。
石膏ボードの塵埃でのどが痛くなる。
20~30秒ぐらい揺れただろうか?
少し落ち着いたので皆でテーブル下から這い出す。
テーブルの周りも割れた石膏ボードやフレームの瓦礫で思うように動けない。
見るとガラス窓から外階段に避難している人たちがいる。
瓦礫だらけのテーブルの上を歩いて何とか外に避難した。
気づくと会社用のPHSを落としたようだ。まぁそんなもん後でなんとかなるさ。。。
幸いなことに打ち合わせしていたメンバー(取引先様含む)は無事脱出出来たようだ。
ひとまずお客様用駐車場の広場に出て、タクシーの運ちゃんが聞いているラジオに耳を傾ける。
宮城沖が震源地で震度7だと。。。
さて自分の室課の避難場所に移動せねば、点呼とかしているはず。
移動の途中で腕を出血して歩いている方とすれ違った。
実験設備の冷却水パイプが折れて水が噴出している。
集合場所で同僚の元気な顔を見て一安心。
ただ、担架で運ばれていく大怪我らしき人も居られたようだ。
我々の事務所も食堂と同様のありさまらしくPCとかは壊れているだろうとのこと。
さてここからが長い。
防災に関わる人もプロでは無いわけで混乱していたのだろう。
寒空の中2時間くらい待たされただろうか?
天気予報で15~17時は雨の予報だったので心配になってくる。
結局ロッカーで着替えて帰宅して良いことになった。
きっとロッカーは将棋倒しだろうと思っていたのだが復旧させたのだろうか?
とにかくロッカーで家の鍵や着替えを掴んで外に出る。
駐輪場で私服に着替え・・・さてどうしよう?
バスが出るとは説明があったもののそんな気配は無い。
17:00頃 歩いて帰ろう!・・・と決断。
この日はたまたま初めての自転車通勤にチャレンジした日で自転車は十数km離れた岡本駅。
手前の宝積寺駅から電車もあるがおそらく運行は停止しているだろう。
てくてくてくてく・・・
無言でひたすら歩く。
女房に電話するも回線はパンクしていて繋がらない。
ツイッターは時々繋がるが家族の安否が判らないとつぶやく気にもならない。
宝積寺の町に出て3階建ての葬儀屋の3階の壁が崩落しているのを見かけ写真でも撮ろうかと思ったが悲しくなってやめた。
てくてくてくてく・・・
夕暮れになり、あたりの町が停電に陥っているのに気付く。
信号機も止まっている。
POLICEの文字が背中に入った警官が手動で取り仕切っていた。
寒いだろうに、彼だって家族は居るだろうに・・・頑張れ!
岡本駅にたどり着いたら休憩を兼ねて電話しよう。
真っ暗な中、鬼怒川大橋を渡る。
4号線は大渋滞。灯りは車の光だけ。
と、やっとのことで駅にたどり着くもあたりは真っ暗。電話も繋がらない。
自転車置き場では真っ暗で自転車が見つからず泣いている女の子も居た。
自分の自転車にまたがり颯爽と行きたいところだが既にヘトヘト。
のども渇いたが停電で自販機もコンビニもアウトである。
ひたすら漕ぐ。
自転車で家まで12.7km。
普段ならなんてことない距離なんだが散々歩いた後なので足がつりそうだ。
途中のローソンで体を休めようと近づいたらなんと電気が付いていて営業している!
店内の商品は転げ落ちたものもあったようだが食料を買い込みに来た客のおかげで売り切れ状態。
私はアクエリアスとタバコ、家族用にインスタントラーメンを買い込む。
やっと水分補給だ。
残りの体力を搾り出し、家路を急ぐ。
どうやら我が家の辺りは停電を免れているようだ。
20:00頃 家が倒壊していないことを念じながら最後の角を曲がる
・・・とリビングに灯りが付いていた。
玄関を入ると下駄箱が倒れかけている。
リビングを入ると・・・元気な家族の笑顔がそこにはあった。
良かった・・・
水道も電気も止まっていない。
地震当時は液晶TVを抑えたり、外に逃げた後ミュウを忘れて助けに行ったり大変だったようだ。笑
ひとまず家族が無事で、雨風をしのげる家がある。それだけで幸せである。
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